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留学体験記

たくさんの『出会い』と『無知』の認識

宮崎大学大学院工学研究科 野辺洋一
(平成14年度 韓国・順天大学校に留学)

「私の趣味は映画鑑賞です。」

これが僕が一番最初に使った韓国語だった。2002年8月19日、挨拶以外全く韓国語を知らないまま韓国に来てしまった。船酔いでプサン港に到着すると、僕の名前を記した紙を掲げて僕を探している二人組がいた。わざわざ韓国の指導教官が迎えをよこしてくれていた。出国前、僕は韓国の指導教官宛に「行き方は知っているのでお迎えは必要ありません」というメッセージを送ってから日本を出発したのでとてもびっくりして、そしてとても嬉しかった。

一人は宮崎大学の土木工学科に1年間留学していたらしく、とても日本語がうまかった。彼らと共に順天に向かう車の中で冒頭に挙げた韓国語を初めて使った。二人の喜んでくれた顔は、つい昨日のように今でも鮮明に覚えている。そして、そこから僕の韓国語&韓国生活がスタートした。

とにかく最初は言葉を覚える事に必死だった。友達や研究室の先輩達から毎日韓国語を教わった。韓国語は特に発音が難しく悪戦苦闘の毎日だったが、今思うと毎日が新鮮で、刺激的で、飽きのこない日々を送っていた。伝わる喜びは日増しに増え、学習意欲もそれに比例した。勉強すればするほど自分の韓国語の実力の無さに落ち込み、友達に励まされては、また勉強するといった繰り返しの日々だった。

韓国に来て半年が過ぎ、韓国語にも大分慣れてきたところで日本人学生は僕一人になった。ルームメイトもベトナム人に替わった。僕は誰にも頼れず、一生懸命韓国語と英語を聞いた。結果的にそれは良い方向に向かい、韓国人だけでなく他の留学生との距離もぐっと縮まり、とても仲良くなった。ベトナム語とモンゴル語の簡単な挨拶を教えてもらったり、テグの地下鉄放火事件やイラク攻撃について語ったりしたこともあった。みんな僕の下手な韓国語と英語を一生懸命聞いてくれた。

僕が韓国留学で得たのも、それはたくさんの『出会い』と自分の『無知』の認識だった。運の良いことに僕はとても良い人たちに出会うことができた。色々な考え方を持った韓国人や留学生と話をし、一緒に同じ時間を過ごすことができた。それと同時に沢山の人から日本の文化や宮崎についての質問を受けたが、恥ずかしながら自分の知識不足を感じずにはいられなかった。無知という現実を受け入れると、日本に対しての探求心が一層強まっていった。「外国に行くと日本がよく見える」というが、正にそんな感じだった。

その他韓国では様々な事を体験した。顔や生活スタイルはほとんど同じ、しかし考え方は大きく異なる韓国。日本と似ているところが多いから故、「え?」と戸惑ったり、理解に苦しみ受け入れられなかったこともあった。「外国人として扱ってくれ」という気持ちと、それとは逆に「韓国社会にどっぷり漬かってみたい」という相反する気持ちが互いに錯綜する事もあった。しかし、最終的には物事を無理矢理頭で理解するのではなく、そのまま素直に受け入れて、肌で感じることが大切だと身を以て知った。

今後は韓国語の勉強を続けるとともに、宮崎の国際交流に貢献できるように色んな活動をしていきたいと思う。皆さんのご協力に感謝して。